理念なき現場は、ユーザー(従業員)が損する職場であると考えます。
理念がない=未来を考えていないことです。
この状況はユーザー(従業員)に不利であると非常に危機感を感じています。
その理念ですが例えば、日本国憲法第9条がなければ、我々は徴兵され戦争に参加しているかもしれません。
日本の理念、「日本は戦争をしません」という理念があるため、我々の平和が保障されています。
権力者が戦争をしたいと思っても、権力者の感想が入り込まないように、理念やコンプライアンス(法令遵守)が存在します。
日本国は平和という理念があるので、私たちは安定して過ごせています、そして日本国は平和を軸を判断基準として未来を作っています。
理念なき現場は、感想の暴挙
ここでは、理念がない現場では権力者の感想が判断基準になる恐怖をお伝えします。
もしも給料や昇進などの判断が、給与査定する人の感想で判断されているとしたら、あなたはどう思いますか?
一年間がんばってきた、査定が感想ですよ!
私はそれは、おかしいと思います。
感想の恐ろしいところは、人の印象は変数で、1秒1秒変わりゆくものです、気分と一緒です。
特定の人を良い人だと思う時もあれば、悪い人だと思うこともありますよね?
人の印象とか、人の判断とかって変数です。
従業員の評価を感想で判断するとは、そもそも「ないものをみようとしている」にすぎません。
権力は感想で行使されるものではないというのが私の主張です。
理念があって初めて判断が生まれる
理念の話ですが、例えばシフト作成では、仕事の民主性を重要視して作成しています。
しかしこれは、組織の理念ではなく、私の理念です。
だから私は「良い」になりますが、別の人からみると「悪い」になるかもしれません。
しかし、組織がどんな理念でシフトを作るべきかを言語化して宣言すれば、理念の元シフトを組んでいる結果という認識になります。
ですので、理念があれば「悪い」が「良い」になることがあります。
ですので、理念なき現場に「良い」も「悪い」もないのが正解です。
ですので、私は、感想を排除してシフトを作成したいと、理念を判断基準としてシフトを作成しています。
ここでのポイントは、理念がなければ、「良い」「悪い」は存在しません。
理念なき現場は権力が物を言う
理念なき現場「良い」「悪い」が存在しない環境で、絶大な力があるのが権力です。
「良い」「悪い」がなければ、物を言うは、権力です。
「良い」「悪い」の判断基準がなければ、権力者のその日、その時の感想が「良い」になります。
例えば権力者が今日から戦争を始めると言えば、それが「良い」になります。
繰り返しますが、日本は平和主義という戦力をもたないことを理念としています。
理念なき現場は、権力者の感想が違和感なく通ってしまう、恐ろしい現状だということです。
権力者の感想から身を守るには?
権力者の感想に振り回されない仕組みを作るには、感想が入り込まないように理念を作ることです。
組織から将来のビジョンや目的や目標などを提示されないで、上司がいってくる「当たり前でしょ」とか「こうすべき」などは、そのことについて明確な言語化されたものがなければ、「良い」「悪い」もないということになります。
ここで一番主張したいことは、上司の感想で物事が決まってしまうことは、はっきり言ってユーザーにとっては不利益だということです。
さきほどの繰り返しですが、
- 給料や昇進が上司の感想だったら
- 仕事の方針がその時の気分で決まっていたら
どうでしょうか?
なにを頑張ってなにを達成すれば昇給や昇進につながるのか?ここも言語化されていません。
これでは、ユーザーはやる気どころか、「お先真っ暗ですよね?」
であれば、自分たちの仕事を細かいところまで言語化して宣言することで、上司の感情が入り込まない仕組みが作れるのではないかと考えます。
言語化こそユーザーを守り、未来を語ることと私は考えました。
権力者が自分の感想で支配するチームであれば、早急に理念を言語化したいと考えます。
なぜ言語化が必要なのか?何を言語化するのか?
よく考えてください。例えばですよ、
あなたの給料はどのように査定されていますか?という部分です。
みなさん知りませんよね?
おそらく言語化されていません。
ユーザー(従業員)が、がんばって仕事してきた。
そのがんばったエネルギーの向け先が評価されないということです。
何を頑張れば評価されるのか?言語化して明確にすることは重要ではないかと私は考えます。
つまり
「言語化されていない=未来が見えない組織」です。
言語化されていないチームの特徴
組織の理念や目的、社員やパートの特徴など、細かいところまで言語化されていないと、
- がんばっても報われない
- 平等か不平等か?
- あきらかに適材ではない人材がいる
- 上司の感想で全てが決まる
という職場環境が出来上がります。
1、頑張っても報われない
頑張りを評価しますといわれても、何にたいしてエネルギーを向ければ良いのか、わかりませんよね?
私は一日に使用できるエネルギーは限られていると考えます、であれば、あなたは何にエネルギーを使えばよいのか、宣言することがユーザー(従業員)にフェアだと考えます。
頑張る先は立場によって違うと考えます。
役職者、社員、パート、エネルギーの向ける方向が違います。
理念なき現場に、立場ごとにどんな仕事をするのかを明確にされていないと思います。
誰がなんの仕事をすれば、その理念が達成できるのか?
そこを考えることで初めて、チームが動き出し、一人一人に機能が与えられると私は考えます。
というこは、理念がない=一人一人が機能しないわけです。
理念がなければ、頑張る先がわからないばかりか、見当違いの方向にエネルギーを使ってしまうということになります。
2、平等か不平等か
なぜあの人が社員、または役職者だと思うことがありません?
私自身、組織と平社員の間にはさまれた階級で、思うことがあります。
役職者とは?
社員とは?
ということを明確に言語化してユーザー(従業員)に宣言することで、
- 自分の欲しい未来をどのうようにしたら手に入れることができるのか?
- どのような人材になれば、その地位につけるのか?
- 平等、不平等という感想が排除される
言語化は未来を見せることです。
例えば、役職者であれば、
「役職者」は、だれでもが仕事に携われる仕組みをつくる、マニュアルや働きやすいチーム作りに必要なことをする。
つまり、言語化作業そして情報発信作業になります。
「社員」は、それにもとづいて仕事をする。
そして、チームのが円滑にまわるような、現場以外の業務または、会社にとって有益な資格をもっていること。
といったぐあいにです。
これだと大まかですが、頑張るつまりエネルギーの向け先が階級ごとに違うことが一目瞭然です。
エネルギーの向け先、つまり頑張ることが明確になってきます。
一日に使用できるエネルギーには限りがあります、それをどの方向に向けるべきか?ということを明確にすることは、ユーザーに親切だと私は考えます。
3、あきらに適材ではない人材がいる
人材の仕事パフォーマンスに悩んだことありませんか?
- この人は、向いていない
- 異動してほしい
- なんでこの人が
このようなことを感じたことはないでしょうか?
私は、会社が配属した人間だからと以前はあきらめていましたが、ちょっと最近はこのままではどうかなと考えるようになりました。
そもそも、そのチームの適材とは? ということを言語化できていれば、そもそもそのチーム配属を防げた、または定着するのを防ぐことができたと私は考えます。
その配属先により、適材とは? の定義は変わってくると思います。
適材でない配置でチームに負担がかからないようにするには、適材とは? を言語化して会社側に「私たちはこのような適材についてこのような判断基準をもうけました」という宣言をすることで働きやすい職場形成できると私は考えました。
4、上司の感想で全てが決まる
ここまでのまとめになりますが、自分の感想ですべてきめる人が上司であることはマジでやばいと思いませんか?
その権力から自分たちを守っていくには、細かいことを言語化して宣言して会社から承認してもらうことだと私はかんがえました。
今現在、何も言語化されていないという環境はチャンスともいえます。
まとめ
いかがでしたでしょうか、少し話は変わりますが、最後に言語化の重要性ですが、ひと昔前は、「見て覚えろ」というのがありました。
これは、本当にやる気のある弟子だけを選定するために必要だったことかもしれません。
とはいえ、昨今では、弟子を選んでいたら会社は存続できない可能性すらあります、そのような情勢ですので、言語化することは、大事な仕事であると私は考えます。
山本五十六の名言ですが、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉は、見て覚えろでは通用しないことを悟っていたからではないでしょうか?
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